サウナブームの恩恵を受けまくり幸せを感じる昨今。
なんとなく、昔話を。
サウナブームが来る、少し前の話。
八尾の隠れ名銭湯ヘルシーバスニューSAKAEに行って、サウナマスターを無心に追いかけた日々を思い出し、ノスタルジック
な気持ちになったので。
そもそもサウナ歴が長いとか短いとか、
そんなしょーもない話はないとマジで思ってるのだが
思えばサウナにハマり始めた2008年当時は、
もっと知りたい、もっと知りたいって調べ漁ってたなぁと。
でも、全然情報なくて。
だからもし変遷とか潮流を知りたい人がいるなら、ちょっとずつ、そんな話もしてみようかなと。
(読み手からしても長いとだるい思うのでほんまちょっとずつ。笑)
俺は浪人を経て2006年に関西学院大学に入学し、
通学経路の梅田でアルバイト先を探そうと適当に決めたのが「大東洋」だった。
当時の大東洋は、今のような20代の若者は
一切おらず、爺さん、ヤ◯ザ、半グレ、パチプロ、外人、ベロベロサラリーマンしかいないカサンドラのような施設だった。
毎日一回は必ず客と大揉めしていた。
それもそのはず。
当時の大東洋といえば
「おっちゃんが飲んだあとに入る風呂」
「飲み会で終電をなくしたサラリーマンの停留所」
的ブランドで、それこそほんとに毎日のようにサウナか風呂で揉め事か事故が起こっていた。
大東洋を代表例として話したが、
温浴施設のサウナなんてどこも同じように
正直マナーもゆるかった。
サウナの「おっちゃんが行き着く遊び」的イメージを変える大きな流れがあったのは2014年3月。
(厳密には2012年のニコ生配信「サウナサミット会議」など色々あるのだが割愛)
なんと、電通の原山壮太氏(サウナジャンキー)&同じく電通系の越山剛氏(現:Mリーグ 赤坂ドリブンズ監督)らが小学館(編集長:小林慎一郎氏)と組み、
「サウナのイメージを一新する雑誌を」という想いのもと日本初のサウナ雑誌を創刊した。
それがかの有名なサウナムック、
「Saunner」である。
その中のサウナの入り方講座やベテランサウナーの対談「情熱•熱風座談会」は、「わかるわかるわかるわかる!!!×20000」の衝撃で、初めてサウナの全貌がわかった気がした。
※ちなみに昨年発売された「Saunner+」にこの座談会の7年越しの続編があるのだが、これまたそれぞれのベテランサウナーが黎明期からブーム期への移り変わりの中でサウナの捉え方がめちゃくちゃ変わってるのが面白い。
当時はネットにも情報がなく、周りで同世代のサウナ友達もいない自分にとって、このムーブメントが死ぬほど嬉しくて、自分に市民権が与えられた気がした。
ちなみに当時サウナ界で有名だったのは
•濡れ頭巾ちゃん(湯守日記ブロガー、「ととのう」の生みの親)
•タナカカツキ氏(2011年から連載開始の「サ道」は売れてなかったが発言力が凄かった)
•越山剛氏(上記)
•原山壮太氏(上記。「サウナー」という言葉の生みの親。実は「サーファー」のイメージを込めている笑)
•サウナ王(温浴コンサルタント、関西でいうと黎明期のクアハウス•天山の湯•あがりゃんせ等のコンサル)
•サウナマスター(「大阪サウナ風呂」ブロガー、大阪風呂組)
•井上勝正氏(おふろの国 熱波師)
あたりで、ととのえ親方氏やマグ万平氏、前山田健一氏など昨今のブームを牽引する方々が活躍し出すのは、まだまだ後の話であった。
つづく